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オールド観光案内図コレクション/大分県 |
中津市と耶馬渓名勝観光図「中津市と耶馬渓観光図」
前田虹映 画 鳥瞰図サイズ:520×155mm
発行:中津耶馬渓観光協会 昭和16年・表面カラー刷/裏面1色刷・書簡図絵 |
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ヌ拡大図はこちら 山口県柳井市出身の絵師・前田虹映の作品。大正広重・吉田初三郎の高弟として工房で手腕を振るうも昭和11年独立。大阪の自宅と柳井市に画室を構え、昭和20年に病没するまで岐阜以西、主に西日本を中心に作品を描き続ける。この絵が描かれたのは昭和16年で、ご子息の前田稀氏(昭和5年生)はこの作品や大宰府天満宮の鳥瞰図を描いているところを見た記憶があり、その証言をきっかけに大宰府天満宮に奉納されている肉筆絹地彩色原画が発見できた。「耶馬渓の原画ももしや存在するのでは?」と探したところ、羅漢寺の関係者が所持している可能性が高いことまで判明、現在確認中である。羅漢寺は師匠・吉田初三郎が大正3年に「耶馬渓御案内」制作のために踏査スケッチ中に、処女作「京阪電車御案内」を昭和天皇(当時は皇太子)から「これはきれいで解りやすい」との賞賛を受け、生涯を「図画報国」に捧げると誓った地。大正15年の初三郎「耶馬渓」鳥瞰図制作の折には高弟であった虹映も同行した可能性が高く、初三郎が定宿としていた「指月庵」が羅漢寺にあったことから推測して方々調べた後に最後に羅漢寺を訪ねて聞いた次第だ。そこで、この作品が描かれた直後の昭和18年に大火が起こり羅漢寺本殿をはじめ指月庵(細川忠明の庵として建築)や宝物類も大半を焼失。わずかに手に抱えられるものだけを住職が運び出したこと(2003年没)などを聞けた。取材時は初三郎「耶馬渓」しか持参しておらず、それを寺関係者に見てもらったところ、「これと似た、1メートルちょっとの巻物を寺のご子息が持っている」との証言に行き着いた訳である。原画の確認が待たれる。 |
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