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豊後高田市の「昭和のまち」商店街
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 昨年10月、大分県豊後高田市の「昭和のまち」商店街の一角に「昭和ロマン蔵 駄菓子屋の夢博物館」がオープン!この商店街はその後のマスコミの取材殺到で話題となっているのでご存知の方も多いと思う。日本一の駄菓子コレクター・小宮裕宣氏を福岡市から招聘し名実ともに「昭和30年代」を体感できるまちとなったのだ。
 豊後高田市の「昭和のまち」は、地元商工会・商店街の人々が中心となり広告代理店や他地域の資本に頼らずに地域再生を実現しつつある実例として、今や全国の商店街からも注目を集めている。これまでに2度ほど同商
工会議所の金谷俊樹氏の講演を聞いたり、金谷氏本人からこのプロジェクトの隠れた秘話を伺った話を紹介する。

 10年前豊後高田の商店街は寂れ、各地の他の商店街と同様にシャッター通りと化していた。対策に困った商工会は大手広告代理店に商店街再生の企画案を巨額の資金で依頼。しかし、上がってきた企画書は素晴らしい内容だったにも関わらず、二度と目を通されることがない「お蔵入り」となってしまった。
 理由は単純。どこの町でもあるような再生企画であり、豊後高田の抱える課題や商店主それぞれの個性などは盛り込まれていない「ありきたり」のものだったのだ。高い「授業料」を払い、「やはり自分たちで自分たちの商店街は守らねばならないんだ」と悟った金谷氏は、商店街を再調査する。
 人通りが一日中少ない目抜き通りの一件一件は看板もボロく、店主の高齢化も進み跡取りのいない店も多い。各地の例に漏れずこの商店街も隣接市郊外にオープンする大型店に客足を奪われ、風前の灯火となっていた。 
「なんとか再生しよう」と立ち上がってくれる商店主も少なく、金谷氏は数少ない理解者たちと毎晩のように、自分が幼い頃に育った商店街の再生を夢見、打開策を模索していた。金谷氏自身、就職で一度豊後高田を離れ戻ってきた立場であり、良いとこ探しとはならず他の反映する商店街との差ばかりが目につく。

 そんな時、ふとしたきっかけで地域再生の妙案が生まれる。集会場となっていた民家のタタミの下から、昭和30年当時の「住宅地図」が出てきたのだ。同じ大分県別府市で創業し間もないゼンリンの住宅地図だった。 
「懐かしいなぁ」と皆で眺めるうちにふと気が付く。「ここも、この店も 今もあるじゃないか」。調べてみると、なんと当時の商店街の7割以上が今も同じ場所にある。しかも当時のままの店構えを保っている商店も多く、現代風の佇まいの商店も看板を剥ぐと当時の古ぼけた看板が残っていた。

 「昭和30年代」の町並み再生。このコンセプトに行き着くまで、そう時間はかからなかった。一人一人店主を説得し、周囲の協力を得るために精力的に動く日々。商店街から協力者も現れ、またUターンで戻り次代を担う老舗店舗の跡取りも…。じっくり焦らず、綿密な計画が練られて、昭和の町は少しずつ動き出した。
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 現在、商店街には「昭和のお宝まちかど博物館」として20店舗ほどが登録。毎年10店舗ほどのペースで再生店舗を増やしていく計画だ。黒崎義介画伯の童画をあしらったパンフレット&イラストマップは、見るだけでも昭和の次代を感じることができる快作!しかも毎年新たな店舗が加わりマップが充実していく「活きた」マップなのだ。
 私の手元には平成13年版と14年版があるが、とにかく楽しい。今では大手旅行代理店と提携し、関東からの観光客で日中はいっぱい。しかし、生活感を大事にしている商店街だけに売りは「昭和の日常、昭和の素朴な商品」。創業が大正8年という老舗の森川豊国堂は、アイスキャンデーの行商自転車を軒先に飾り、当時のままというミルクセーキや御接待菓子などが売り。昭和26年創業の肉のかなおかは、苦労の末に当時開発した「豊後牛のミンチコロッケ」。この二つは特に人気も高く生産が追いつかないほど盛況という。

 その他にも各店にその店の「お宝」が展示され、また商店街のいたるところに「駄菓子コレクター」小宮氏の懐かしいおもちゃが展示されている。この小宮氏は、以前は福岡市で「なつかし屋」という駄菓子屋と大宰府天満宮の参道脇に「駄菓子資料館」を開設していた人物。金谷氏をはじめ、豊後高田の人々の熱烈なラブコールを受け、数年悩んだ末に昨年単身赴任で豊後高田へ。
 たまたま小宮氏は私の妻(70Sドールコレクター)と親交があり、高田以外の数カ所からの誘致の中で、どこを選ぶか迷っていた時期を良く知る。決め手は前述のような熱意だった。今ではこの町に骨を埋める決意をしているという。
 私は母の里、大分県宇佐市からほど近いこともあり、数年前に昭和のまちプロジェクトが動き出した時期から定期的に足を運び、まさにまちが生き返る姿を目の当たりにしてきた。最初にプロジェクトを知った数年前、訪れた商店街はまさにシャッター通りだった。それが行くたびににぎやかになり、魅力を増している。大正末期のレトロ観光タクシーも動き、さらに加速しそうな勢いだ。

 金谷氏は商店街再生のきっかけが見つかったとき、うれしさの余りゼンリン本社に電話して「ありがとう」とお礼を言ったそうだ。

 地域活性化は地域を足もとから見直すことから始まる。その地域に根付く伝統や特長を活かした町づくりこそ、他に真似のできない魅力につながるのだということを、この町は教えてくれる。
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