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堅粕は古くからの商店も多く、町並みが昔っぽい。写真クイズの答えを探しながら、面白いものをみんなで探した。馬頭観音には、地域の人がお花やお供えをしていた。大正みそは大正元年に創業した老舗の味噌屋さんだが、春の地震の影響もあった取り壊しの最中だった。地図を作る際は、見やすさに気をつけて番号を入れた。写真は矢印で現地を示し、説明は欄外下にまとめた。 |
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》製作風景 》発表会風景 》完成したマップ拡大図 》仕上がり |
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↑完成したマップ。画像をクリックすると拡大画像が開きます。 |
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■発表会 |
発表では、地図の該当部分を示す役や話す役を決め、みんなで順番に説明していった。 |
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調べた内容を仕上げの地図に書き込む。 |
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仕上げをどうするかで悩んだ。 |
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完成間近。みんなで役割分担して仕上げた。 |
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■堅粕・東光地区の特徴 |
校区の北側、堅粕4丁目は昔は西堅粕と呼ばれていたところ。戦災を免れたため、古い町並みや路地が多く残っている。地禄神社は貝原益軒の「筑前国続風土記」にも天満宮として記述がある古い神社だ。この地は古くは「地禄の丘」と呼ばれ、菅原道真公が大宰府へ赴任する際、小高い丘の上から大宰府を遠望されたという。堅粕という地名は、潟洲という名が変化したものと言われ、昔は海岸端だった。土地が低いため度々水害に見舞われ、戦後も昭和28年、38年、最近では平成11年、平成15年にも御笠川が氾濫し水没した。堅粕橋付近から曲折して住吉方面の冷泉津へ流れていた比恵川(御笠川)を大友宗麟が流れを変え、今のように博多部東端を流れるようになった。明治に入ると付近を鉄道が走るようになり、交通の要所となる。 |
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■探索・調査 |
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↑馬頭観音堂の前で調査中。 |
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↑古い町並みには昔ながらの小さな商店街がある。 |
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↑クイズの答えを発見!工務店のアイキャッチだった。 |
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↑クイズの答え「消防車の消火栓」発見!校区には計3つある。 |
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↑古い町並みは道が狭い |
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↑地禄神社にて |
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■仕上がり |
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↑矢印で位置を正確に表現。シールも活用しました。¥ |
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