前田虹映たちによる鳥瞰図執筆風景(1928年) |
■ Index ■ |
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■ 前田虹映の経歴 ■
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本名 前田 穣(マエダ ユタカ)
明治30年6月19日(1897年) ------------------------------------- 大正14年(1925年) ---------------------------------------------- 昭和11年(1936年) ---------------------------------------------- 昭和20年6月8日(1945年) ------------------------------------------------------------- | ||||
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■ 前田虹映の紹介 ■
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藤本先生による前田虹映の紹介
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十指を屈する吉田初三郎画伯の弟子達(金子常光氏、中田富仙氏は除く)の中で、一番の高弟である前田虹映(本名は穣)は、明治30年山口県柳井市の生まれ。21歳になった大正7年春、上京して当時風景画の重鎮として時めいていた田中頼璋氏の門下生になり、画壇でも注目されていたのであったが、ふとした機会から鳥瞰名所図絵の世界で大活躍の初三郎の主張と画風に心服し、ついには大正10年、24歳の時に初三郎の門を叩いて認められる。 その翌年には、初三郎に協力して、『秩父ながとろ遊園地図絵』(第1作)を出版。この年には、初三郎の経営する大正名所図絵社(観光社の前身)に参加していた小山吉三氏、金子常光氏は小山氏の弟・中田富仙(甚吉)氏を連れて退社し、日本名所図絵社をおこしているので、より一層、師を助けて名所図絵の完成に力を傾注してきた画伯であり、絵師であった。初三郎工房としてのプロダクション的要素があいまって、数多くの作品が誕生した昭和初期、特に昭和4年は108点以上の作品群があり、驚異的ではある。この頃の画室は、前田虹映、名川朝太郎氏、その他画室にいる数名の画生達によって運ばれてゆくのでありますが、勿論吉田先生も画室にいる間は其の側につききりで絶えず其処此処のと訂正の画筆を揮われるのであります。前田虹映は弟子達の中心的存在として、師の深い信頼を集めていたのであった。 |
【景勝宣伝社、後の景勝出版社をおこす】 【前田虹映作品の特色と魅力】 |
■ 前田虹映の主な作品紹介 ■
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1.鳥瞰図 |
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2.絵葉書 |
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3.其の他 |
■ 作品集 ■
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■ 恩師 吉田先生 ■
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吉田初三郎先生(1884〜1955年)は、日本の鳥瞰図の先駆者であります。 |
■ 父をたずねて〜ホームページ制作にあたり〜 ■by 前田 稀(マレシ)<虹映の長男> |
鳥瞰図は私達にとっては良き時代もありましたが、戦争のお陰で描く事が出来ず、大変苦労したようです。以来今日まで60年近く絵描きという職業を嫌い、口に出さずにきましたが、先日中日新聞をみてから、日本福祉大学知多半島総合研究所の皆様方、知多四国霊場会71番大智院 長谷川実彰様に快くお会いしていただき非常に有り難く思っております。扶桑書店の井上さんに初三郎研究会の石黒様・藤本先生・初三郎蒐集家浅野様を紹介していただき、前田虹映のことを少しでも興味があるとお聞きし、親父の偉大さを改めて知り、考えが変わりました。 その後、福岡の益田さんにお会いすることができ、貴重な資料を戴き九州方面の初三郎、虹映の原画の発掘に努力され僕も見せてもらい感動しました。とにかく、父の絵の理解者で感謝しています。 今一人、同じく福岡田川の松岡さんも資料探索に多大な協力をして頂き感謝しています。 |
■ 父のホームページを作るにあたり僕の独り言の感想 |
平成2年に、2代目吉田初三郎(朝太郎)さんにお会いしたとき、色々と僕にはお話をして頂き、僕の脳裏に焼き付いています。今考えれば、録音でもしていれば良かったと思います。とかく芸術家という人は頑固で融通が利かない、そして自分の事を余り喋らない人が多いです。前田虹映、吉田朝太郎もしかりです。でも僕だけには、色々とお話しして頂きました。僕にとっては恩人であり良き理解者でもあったのです。 吉田初三郎が今、世の中で注目されていますが、彼の奥さんである百合子さん(僕の叔母)の人脈のお陰で多くの著名人と知り合う事が出来、彼の営業の上手さで多く依頼があり、虹映、朝太郎他の弟子達の力でこれだけの絵が描けたと思います。特に朝太郎さんは、吉田家の百合子さん、そして僕の姉の面倒を見て頂き、吉田初三郎一代に仕え一生を過ごした人です。また、朝太郎さんの妹さんが初三郎を最後に看取った人です。これらは紛れもない事実です。 |
■ ホームページ制作にあたりご協力頂いた人 ■ |
<藤本 一美> <井上 洋二> <益田 啓一郎> |
■ ホームページ問い合わせ先 ■ |
前田 稀(マレシ) ※ちなみに私の名前は初三郎が名付け親です。 |